嵐城吟社

嵐城雅韻 第一号
1-1
この「嵐城雅韻(らんじょうがいん)」の名前の由来は、三条市のことを風雅な呼び方で「嵐城(らんじょう)」と呼んだからです。
1-2
もう少し説明しますと、三条市には五十嵐川(いからしがわ)という川が市内を縦断して流れています。
1-3
この五十嵐川は、三条市内で日本一の大河である信濃川に流れ込み、40キロほど先の日本海に至ります。
1-4
五十嵐川を昔の詩人は「嵐川(らんせん)」「嵐水(らんすい)」と表現しました。そこで、嵐水が流れる町の風流で「嵐城雅韻」となりました。
1-5
嵐城吟社で最初に漢詩を作った人が、故明田川壮中さんです。詩才の豊かな方でしたが、惜しいことに数年前に病膏肓に入り帰らぬ人となりました。
1-6
嵐城雅韻第一号では、四首載っています。私が、最初に実作の手ほどきを受けたのが壮中兄でした。感謝、合掌。
1-7
2番目に載っているのは、近藤青衫雅兄です。本人曰く、「無謀にも律詩にチャレンジしてしまいました。知らないということは恐ろしいものです。」
1-8
アウトドア派の青衫兄ならではですね(^^) 
1-9
故大久保昭平、号を南涯兄は昨年黄泉に奔られました。本人曰く、「ん〜、一番最初に作ったこの詩が俺は一番好きらの」と生前飲みながら話していました。
1-10
齋藤雅泉兄は、詩吟の先生です。今は、残念ながら漢詩の詩作はされないようです。機会が有りましたら、また作詩していただきたいものです。
1-11
山田匠山兄は、鍛冶屋さんで名工です。また、詩吟の先生でもあり全国大会で活躍されたそうです。
1-12
田辺賀山兄は、初代そして中興をなされた嵐城吟社の大幹事です。詩才だけではなく、特に、詩吟の力量は指導力ともに高名です。
1-13
嵐城吟社主宰の洲脇一石先生は、ボールペンから筆ペンへと変わりましたが、一部を除いて全てご自分で手書きされました。
1-14
洲脇先生への詩評は、今は亡き齋藤荊園先生と太刀掛呂山先生です。
1-15
故齋藤則天兄は、嵐城吟社を語る上でエピソードに事欠かない人物です。お元気ならばと思うとただただ残念です。年齢差はありますが、私の盟友です。

嵐城雅韻 第一号A(12) | 嵐城雅韻 第一号(15) | 更新

ホームページへ | ログイン

myGallery